フラダンスの歴史ついて

古代ハワイには文字が無く、全てを口承で伝えてきました。
詞の種類には、祈り、神話や物語、神々を讃える讃歌、自然の美しさや愛について、
事実を綴った歴史や家系図などもあります。
ハワイの楽器イプヘケ(ひょうたん)とパフドラムのリズムに合わせて、
チャント(詞)の内容に身振りやジェスチャーで踊っていました。
これをフラ・カヒコ(古典フラ)と言います。

1820年頃から読み書きすることをアメリカからの宣教師により紹介され、
口承という伝統も文字に置き換えられるようになりました。

1830年ハワイを統治していたカアフマヌ女王は西洋文化とキリスト教を
深く受け入れ公の場でフラを踊ることを禁止しました。ーフラ禁止令

※画像出典:J.J.Williams パブリック・ドメイン,
https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=1004529


長い間フラを踊ることが禁止されていましたが、
1883年第7代カラーカウア王は西洋文化の良い面も取り入れ、
ハワイの伝統も守り抜いた王様で完全にフラを復活させました。
自らの即位式をハワイ人の伝統的なスタイルに基づいた儀式に即して行い、
フラも公式の場で踊られました。そして、人々から絶大な支持を受けました!

この頃、西洋の楽器や音楽も多数持ち込まれした。
特に王族の間でもクラシック音楽やピアノなどが愛され、
王族が書き下ろした楽曲もたくさん誕生しました。
また、ポルトガルからの移民によりもたらされたブラギンハという楽器から
ウクレレが誕生しました。そして今のハワイアンミュージックが生まれ
音楽にのせて踊る新しいフラが始まりました。
それがフラ・アウアナ(現代フラ)ーフラ復活・アウアナの誕生

カヒコと異なるのは、ハワイの伝統楽器のリズムではなくウクレレやギター、
ピアノなどと共にメロディーのある音楽で女性だとドレスを着て踊ります。
カヒコもアウアナも詞の内容を身振りやジェスチャーで踊ることは
共通していて、詞に記された物語を人々に伝えることには変わりありません。

フラはやがてポリネシアンダンスの一つとして観光の目玉、エンターテイメントとなっていきました。ハワイアンミュージックもたくさん生まれこれに合わせて踊られるフラが増えました。
エルビス・プレスリーが歌った『ブルー・ハワイ』もその一つで、
日本に最初に入ってきたのがこれらです。

ワイキキビーチの景色

参考文献
・フラ・ダンサー必携本!フラ事典(改訂版)
フラレア編集部 刊 Kawehi Miller編